西新宿

ビジネスショーの後でささやかな打ち上げをしました。その店の窓からの眺めです。こういう写真は難しいですね。テーブルに置いたカメラでは傾いて写りました。

ストレスの解消法(20050210)

ストレスの解消は人様々だと思います。他人のやり方を否定する気もありませんが、本当にストレスが解消されているかというのが重要だと思います。形は変ってもその多くは「現実から逃避する方法」と「ストレスに対峙する方法」の二つだろうと思います。ただそのどちらも解決に至らないケースが多く、より大きなストレスになる可能性があります。私はストレスの理由を一時的に忘れ、ストレスの根本的な原因を打破出来る作業に没頭するようにしています。ストレスの理由は事件や事故、人間関係、病気など、自分にはどうしようもない事が発生した場合や、長年自分の中に鬱積した自己矛盾などによって引き起こされるものから、明らかに病的なものまで様々ですが、金銭的な手段で解決出来る問題は仕事への没頭で、更に専門的な知識が必要な場合は可能な限りの研究にのめり込みます。以前、ボランティアで子供達にサッカーを教えていた時期に、母親が入院し事務所を維持するかどうかで非常に悩んだことがあります。事務所の費用はおろか入院費も支払えなくなる時期が来ることが明らかでした。子供に「先生悩みがあるね」と言われ、ここで現実から逃げていても何の解決にもならないとボランティアを無期限で休み、事務所を整理してその後は仕事に没頭しました。すると少しづつではありますが、光が見えて来るのですね。目の前の仕事は激減していたのですが、自分の専門分野を極める作業をWEBに掲載する事で気付いてくれる人がいたりとして、仕事も徐々に増え、落ち着きが戻りました。(続く)

本質に拘る生き方とライフワーク的仕事論(20050126)

仕事と趣味は別という考え方がステキだと昔から良く言われています。確かに趣味の中に仕事があったり、仕事だけで人生を過ごすのは何とも勿体ない野暮な生き方だとは思います。しかし一方では嫌でも仕事をしなくてはならない訳で、「生きる糧」なくしては何も成り立ちません。ならば好きな事をしていた方が良いに決まっています。あなたは一年に何日仕事をして何日遊びますか?どちらの時間が長いですか?ここで趣味と言える人はまずいないはずですから、仕事が楽しいことは重要です。仕事が楽しければストレスは本質的に減らす事が可能ですよね。会社の中でストレスが発生するのも仕事を楽しめない人の存在が大きな理由だと思えてなりません。ただ生活のため、働く事が義務だからではなく、人生の目標の一つとなるような仕事との出会いを今からでも本気で探し、手に入れ、幸福になりませんか?でも会社を辞めること、転職が全てではないはずです。今の仕事を本質的に見つめ直し、人生の目標になるか?時間を掛けて考え直すことも重要です。

原始人の未来「ストレスから解放されない浦島太郎」(20041107)

私たちは5000万年の猿人の未来を今生きています。彼らの生活は恐らくストレスの連続だったと想います。恐竜の生き残りから襲われ、狩猟が生きるすべでしたし、女性はその尊厳などなかったでしょうから、子供を産む道具としての生き方しか許されなかったとか、人間の過去がスローライフではなかった事は容易に想像で出来ます。人間は多くの知識とリテラシーを持って初めてスローライフを実現させるのではというのが私の持論でもあります。例えばそうした事とは無縁に見える伝統工芸や能や歌舞伎の世界も実に改革や革新を続ける事で進歩を続けています。むしろオフコンの時代に大儲けして、パソコンはおもちゃだと言っていた一部のコンピュータ業界人の方が怠惰で変化を嫌う人々だったと良く分かります。文書を書くとか絵を描くといった基本的な技術はベーシックなもので普遍だと想いますが、それを表現する方法はどんどん変わり変えなくては環境に適応できなくなります。もしもあなたが一日2時間テレビを見ている時間があるのならそれを1時間にして、本を読んだりWEBで様々な最新のテクノロジーに触れては如何でしょうか?それだけであなたはよりゆったりと生活する術を身につけるはずです。ただ現在の状況を正確に詳しく説明したら悪意があると怒った方もいるぐらいでしたから、この程度の話も通じない浦島太郎さんが随分と徘徊をしているのも事実のようです。

人が豊かにゆったりと生きるには(20041030)

スローライフとかスローフードといった運動は基本的には必要ないのだろうと思います。人を過剰に急がせたり、競争に走らせたりする理由は何でしょうか?狩猟民族として生きなくてはならなかった時代は過去のものとなり、飼育した動物や魚から食料を得られる時代には戦うという行為はゲームの世界以外には本当は不要なのだろうと思います。私の友人で会社を経営している方がソフトウェアの制作を私が過去に関係していた会社に注文しました。この会社は当時は面倒見の良い会社で、様々な口約束と簡単な契約書を元に仕事がスタートし、開発費用は全て開発側に支払われたのにソフトウェアは完成しませんでした。かって関係のあった会社の社長はこの程度の金額で自分たちが告訴されることはないと思い込んでいるようで、更に費用が支払われなければ開発は継続しないと言い出すし、頼んだ友人は他の会社にやはり明確な契約書なしに開発を依頼してしまうという訳の分からない状況になりました。そのソフトは最初の開発から4年が経過した現在でも完成していないのですが、私が絡んだ仕事で似たようなケースはありません。誤解があって途中で終わった仕事も要求部分は契約書に記載がなくても私の良心で完成させてきました。口約束も契約という意識が私の中にははっきりあるのですが、どうもその意識が乏しい方々が実に社会には多くて、普段は紳士淑女を気取っておられるのです。私はこれに我慢がならないんです。そういう方に限って政治家は信用できないとか言われますが、ご同様と思います。そうした不信感が結果的に全ての争いの原点ではないでしょうか?あなたのちょっとした不誠実な約束から数千年後に世界戦争が起きていたらどうしますか?でも西暦3000年の日本人は27人だそうです。これも一組の男女間でちょっとした不誠実さが招いた不幸かもしれません。契約書がなければ恋愛も友情も生まれない・・・これではスローな生き方はできませんから、裏切られても私は守り続けます。でも怒りますよ(^_^)

まずスローフードから

スローフードとはファーストフードの逆の意味の造語ですが、インターネットで調べると、「スローフード協会は今から18年前の1986年、イタリア北部、ピエモンテ州の小さな町ブラで始まりました。当時、『ゴーラ』という食文化雑誌の編集者であった現会長のカルロ・ペトリーニが、イタリア余暇文化協会(ARCI=アルチ)という団体の中に、「アルチ・ゴーラ」という美食の会を作ったのがきっかけです」(日本スローフード協会のホームページより抜粋)となっております。昨今、スロービジネスとかスローライフ等という言葉が生まれた基本もこのスローフードが基点となっておりますが、人間が生きる基本である食文化を見直さずには、スローワークもスローライフはないだろうと考えます。食文化の回帰はまず子供達が本物の味を美味しいと感じる事。人工的ではない、食材本来が持つ素材の美味しさを未来に伝える努力から始まります。

コンピュータでスローワーク

コンピュータの仕事を始めようと思ったきっかけは実は正にこのスローライフでした。コンピュータに仕事をさせれば人間は他の好きなことが出来るという思想が私をコンピュータに対して本気になった理由です。人間はコンピュータに命令(プログラミング)をして、後はコンピュータが片付けてくれるという考え方です。でも1980年代はこれが実現したのです。データ処理の仕事のアウトソーシングを受注して、これの管理で生活してました。これって米国では結構主流のビジネスだったようで、汎用とか値段の高いコンピュータでやると何千万も掛かる計算を複数のPCを積み上げて同時に計算させ、結果を出す。PCも上手く使えば汎用並みの力が出るんですね。お陰で、コンピュータが1日掛けて計算している間は子供とプールに行ったり優雅な物でした。

祭 2004.09.12

歯車が狂いだした

ExcelとかWordって便利ですが、効率的でしょうか?OfficeAutomationをスローガンにペーパーレスだの自動的にデータが出るようにって、結局は手書きでは限度があった分さらに多くのデータを出しているだけでは?と思うことがあります。それだけ出して誰が見るのと不思議に思うことがありますが、沢山あると良く分かったような気になっているだけというのもありますし、まあそれはそれとしてちっとも楽が出来ない。もう20年前から人がコンピュータに使われているというイメージは変わりません。確かにWEBでモノ探しは楽になりましたが、早く見つかるとまたそれに振り回されるようで、全く楽になる兆しが見えないのが現状のようです。

何処か外れている

コンピュータ中心で動く社会というのは何処までもチェーンが繋がっているように見えて何処かが必ず外れているはずです。その外れている場所が物凄いロスになる訳ですが、これって結構身近だったりします。このロスを上手く克服する事が実はとても楽が出来るヒケツだったりする訳ですが、分からない同士が検討しているのって更に混乱を招いてしまいロスが増える。そこを何処に相談するか?がとても大切なんですが・・・どうも勘違いが多くて、痒い所に手が届かない。それを見守る立場ほど辛いですね。

プチ寝の奨め

実はこの文書も書き終えたらちと寝ようと思っています。今のジレンマから抜け出てスローになるには寝るしかないと思っています。まとまって休めないのなら出来るだけ寝てしまおうと!メールは電話と違って鳴らないので寝るにはもってこいなんです。寝てからまとめて読む。来ても気にしない。働く時は凄く早く一気に、でも続けない、時々プチ寝するのが私のスローワーク。これって自衛策なんですが、メリハリが大切です。ずっとスローではスローが普通になってしまうのでダメです。

そしてスローライフ

人間には基本的に間違えるということを皆が認めるだけで社会は随分楽になるはず。皆が怠けたい休みたい欲望を認め、無我夢中に働いても経済的に豊かにはなれないという構造を作ってしまう事で、個人として組織としての責任を果たす事を最も重要と位置づけてしまいたいと考えています。近年、車の基本的欠陥による事故や、原子力発電所や火力発電所で、同様の事故が多発しましたが、どれも効率重視、生産性優先の考え方が引き起こした悲劇です。本来の責任を最優先として告白の勇気を評価する機能があったなら全く違う結果となったはずです。気持ちに余裕を持つ、スローワーク、スローライフこそ人間にとって最も大きな利益になるという事です。

エコエティカ

世界的に著名な哲学者、今道友信氏が提唱する哲学的思想の一つです。エコはエコロジーのエコとも似た意味ですが、家を意味し、人間の家である地球全体のあるべき環境をテーマにした基本的な考え方を研究するというもので、非常に具体性がある自然哲学の思想です。地球環境は科学のテーマと思われがちですが、人間の行動規範のベースになる思想を無視して科学が進む方向性は有り得ない訳です。原子力発電所を作る作らない、どう維持するか?そして100年後にどう変えて行くのか?人間の技術はその時代までに明らかになった範囲でしか是非を判断できません。例えば米国が日本に原爆を投下した事も技術者にとっては実験的な意味だった部分が大きかったと聞きますし、想像できますが、それが引き起こすだろう悲劇には後に気付く訳です。海にゴミを無頓着に捨てる若気の至りも自身が親となり、自分の子供が汚染された食物を食べている事実に後から後悔を覚えるのが普通でしょう。悲劇の循環を止める事は誰にも出来ないと言う思想の反対にエコエティカは存在し、これに抵抗しようとする有識者達が日夜研究を続けています。ある意味まだ人間を諦めていないポジティブな思想なのです。

考える時

夜は本来人間が休む為に存在したはず。現代は24時間誰かが何処かで起きて働いている眠らない世界になってしまいました。本当の暗闇がない生活が既に何十年と続いています。休むと言う事は動きを止め意識だけの世界に入ることですが、ここで人は考え、どう動くかを準備します。体そのものを安め、疲労を取り、機能を回復します。本当の闇の中で初めて休まる魂は本来の感覚を取り戻します。ちょっと試してみましょう。部屋を暗くして、横になり目を閉じます。その状態は人が全ての方角に同じ感覚を取り戻す瞬間です。目を開けた人間は自分が見えるものに意識が集まりますが、目を閉じると全ての方向に同じ意識が働きます。これが人間の本来の能力です。そしてこの状態で時間を掛けて考えます。本当は何をすべきかを考えてください。沢山のプレゼンテーションは思考の補助になるのではなく、むしろ洗脳だという事に気付いてください。考える時間は何も見ず暗闇で目を閉じる事。光も音も遮断された空間があなたの意識を自然で最も感覚の鋭い状態へと導いてくれるはずです。

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